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アイドル事のわたしメモ✍️

関ジュの2人と7人へ

 

 

小2のとき

5000円あげるから!につられて野球のオーディションに行き

たまたま時間が空いてたから次のダンスオーディションを受け

たまたま予定者の都合が悪かったから、電話がかかってきた人。

 

小2からこの業界に入りダンスと歌をガムシャラに磨いてきて

小6のとき

お友達と一緒にオーディションを受け

一緒にジャニーズ事務所に入所した人。

 

 

 

「辞める勇気がなかった」と言う丈くんは

辞めるより続ける方がずっっと難しいことを知ってるのかな、

 

「薬科大に行こうと思ってて、もし受かってたら俺、辞めてそっち行こうと思ってた」と言うおおはしくんは

その覚悟ができる、とても強い人だなと思う。

 

 

 

一度前の景色を見たと思ったら次には3列目に戻り、

Jr.の、後輩のバックで踊ったときも

“悔しい”の感情ではなく、

 

置かれた場所で精一杯頑張れば誰か見てくれている、の精神で

目の前のお客さんに真正面から向き合って。

 

 

 

素敵な先輩と出会ったことがきっかけで仲間と活動することが増え、公式グループになりたくて切磋琢磨した

 

Funky8

 

という

仲間の仕事を心から「おめでとう」と言えるようになった大切な場所も。

 

そんな非公式グループが自分たちがきっかけで自然と無くなることになったことも。

 

 

 

“なにわ男子”結成は

 

「最後のチャンスかもしれん」

「未開拓のトンネルの中見えた光」と思いつつも

 

「他の5人はずっと1列目や2列目にいた人たち。“俺らと一緒になるって、どう思ってんねやろ…”」

と不安いっぱいの中スタートしたと思う。

 

 

「自分の衣装を作ってもらい、初めてCDデビューを目指したいと思った。」

「ほんまになにわ男子としてやっていくんや、って覚悟した瞬間やった」

 

2人にとっても7人にとっても周りの人にとっても

なにわ男子は誰も予想してなかったくらいの猛スピードでここまで大きくなったと思う。

 

デビューって想像していたより遥かに大きなことだったから

前日の今でもびっくりしているけど、、笑

 

 

 

お仕事が決まっても言えなかったメンバーがいたり

素を出せず遠慮してたメンバーがいたり

輪に入れなかったメンバーがいたり

自分の役割が見つけられず模索し続けたメンバーがいたり

 

バラバラの年齢や歴、立場に

それぞれが7者7様の悩みを抱えていたけど

 

 

この約3年で、いつしかなにわ男子が

“ある日言われたこのメンバー”から

かけがえのない仲間に、大切な居場所になった。

 

 

 

「“普通”の夏休みなんて小1のときの1回しか知らん」

「黒髪にすると就活かなって思われるから、染めたくても茶髪のままの時があった」

 

「お仕事でもう嫌!ってなった時に家族の前で1回、ほんまに泣いたこともあった」

 

 

出口も見えない環境で、

たくさんのことを犠牲にして私たちの目の前に立ってくれて、

こうして見つけさせてくれてありがとう。

 

 

 

先にデビューしたからえらい、とかすごいとかは

彼らの言う通り良くも悪くも関係ないと思うけど

 

2019年8月8日の舞台裏で自然と円陣を組み、言った

「次は俺らや!!!!!!!」

を見事に有言実行した彼らは

 

世界一かっこよくて

ずっとずっと自慢の自担さんで

ずっとずっと大好きな自慢のグループ!

 

 

 

何度でも言う……

 

ありがとう、関西ジャニーズJr.の

藤原丈一郎くん!大橋和也くん!!

 

それぞれ

💙6474日(17年8カ月22日)

💚4606日(12年7カ月9日)

の関西ジャニーズJr.

本当にお疲れ様でした。

 

 

そして

ありがとう、

関西ジャニーズJr.のなにわ男子!!

 

こんな素敵なグループに出会えて

本当に毎日幸せでいっぱいです、、!

 

 

 

これからも

丈くんとおおはしくんとなにわ男子と関ジュを

ずっと追いかけさせてね。💿

 

 

 

ずっと初心を忘れずに、、💖

夢をわたすためにどんどん進めっ!

NANIWA'n WAY〜!!🏃‍♀️🌈